紙まつりの始まりと内容

 

 生産できないのは「紙幣と郵便切手」といわれるほど、四国中央市では、全ての紙製品が生産されている。

 しかし、製紙業には公害問題はつきもので、オイルショック以後、“西の田子の浦・川之江”と社会問題として広く報道され、町のイメージも大きく落ち込んだ。

 その後、企業の環境浄化に対する努力や行政指導もあって、公害の町返上に取り組みはしたが、市民との連帯意識は欠如していた。

 そのような社会背景の中、川之江青年会議所(JC)が1977年「市の問題点、市民意識の発掘」を目的に市民アンケート調査を実施。「新しい郷土のまつり」の発想に、賛成者が多数占める結果となった。

 そこで、JCでは地域の発展と人間生活の調和を求め、1978年に「川之江ペーパーカーニバル」を単独で企画し、その第一歩を踏み出した。

 第2回からは、24団体で実行委員会を構成。「ペーパーカーニバルの目的は、市民全員の賛同と参加のもとに、故郷川之江の紙を主題としたまつりとして永く定着し、さらに発展させることにより、市民生活に潤いと活力をあたえ、明るく、豊かなふるさとづくりの一環とすることにある。」として、幅広いまつりとなった。

 第3回からは、名称を「ペーパーカーニバル」から「紙まつり」と変更。紙娘4名を選出し、県下をはじめ、香川県、徳島県の近隣の市町村にまで、大いに宣伝を行った。マスコミ機関も地場産業をテーマにしたこのまつりを高く評価して大々的に報道合戦を演じた。

 第4回には、紙おどりを創作。以後、市民団体を中心に普及し、紙による造形物の展示、紙製品の即売、また、近年では紙で衣装を作った結婚式やファッションショーなど、思考を凝らした多数のイベントが行われるようになり、現在のような紙まつりが確立した。

 第31回には、高校生による「第1回書道パフォーマンス甲子園」が行われた。三島高校をはじめ、県外からの参加もあり、大いに盛り上がった。

今後も紙まつりは、さらなる発展と挑戦を続けていくだろう。

紙まつり第30回記念 巨大紙風船